非日常な旅の中には、“想定外”がたっぷり。そんな想定外を受け入れるスキルは、災害時にも生かされそうですね。
雑誌『TRANSIT』の元副編集長である池尾さん。現在は、京都在住のフリーランスとして活躍中です。これまで旅について考えてきた池尾さん(しかし、鼻炎持ち&虫に弱いので旅スキルは低め)が、本を通じて旅を見直します。
旅が好きだったり、オーストラリアに行ったことがあれば、オーストラリアの先住民・アボリジニに興味のある人は多いと思う。かく言う私もその一人。そこで、「ドリーミング」や「ソングライン」をはじめとする、彼らの信仰や世界観を紐解こうといくつかの本を読んでみたものの、頭では理解できるものの、なかなか自分事としてはしっくりこない。というのも、彼らの世界観はまるでファンタジーともいえるほど、現代社会とギャップがありすぎる。
そんなもどかしさを抱いている人にお勧めしたいのが本書だ。
ヘルスケア従事者である50代のアメリカ人女性が、アボリジニの部族と共にアウトバックと呼ばれる荒涼とした大地を、4ヶ月間歩き通した放浪旅の記録。着の身着のまま、という言葉があるが、著者の旅は、着ていた洋服、靴、貴重品一式をアボリジニの人々に燃やされてしまうところから始まる。身体には部族の女性と同じ布一枚を纏い、足は裸足で、ディンゴの皮でできた敷布と動物の膀胱でできた水筒、また最低限の道具だけを携えて。彼らは基本的に食糧を持ち歩かず、その日の食糧はその日に調達する放浪旅だ。いわゆる西洋医学界で“バリキャリ”の著者がひょんなことから部族の旅に同行することになり、時にうろたえ、時に心を動かされながらも経験を重ねていく展開には、まるで自分もそこにいるかのような心地で追体験できる。
旅の朝は、彼ら自身と世界の調和に感謝し、全員で祈りを捧げるところから始まる。植物の種、木の実、果物、アリにシロアリ、あらゆる昆虫や地虫、トカゲ、蛇といったその時々に出合う生き物は、その日の食糧として現れるもので、人間はそれらを有り難く受け取ることで、天は再び恵みを与えてくれると彼らの世界では信じられている。代わりに、彼らはそれらを取り尽くさないことも徹底している。あらゆる自然の恵みは、アウトバックに棲む全ての生き物と分け合うものだからだ。
食糧調達だけではない。一定のリズムで歌うことで歩いた距離を測ったり、砂漠の下に流れる地下水の音を聴いて水のありかを見つけたり、さまざまな効能の植物を炎症や疾患に使い分けたり、野宿の際にはディンゴの皮の敷布や人肌で暖をとる方法だったり、彼らはほとんど身ひとつでアウトバックで生きる術を知っている。また、3km離れた人とテレパシーをとったり、添木もせずに骨折を治したりする様からは、彼らが聴覚、視力、嗅覚に優れるだけでなく、同じ人間でありながら特別な力が備わっていると思わずにいられない。社会保障は皆無で、限りなく不安定な環境下で、この部族にはストレスもなければ癌も心臓病も存在しないという事実に、著者は医療従事者としても惹きつけられていく。
本書は、そういった数々の不思議を化学的に解明するものではない。それらの根底に流れる、彼らの生きる姿勢が真のメッセージと言える。自分、家族、隣人、地球、すべてを無条件に受け入れ愛すことの素晴らしさ。すっかり形骸化した“ナチュラルライフ” が溢れる今、自然と巧みに調和して生きることの本質がここには詰まっている。
(書名)
『ミュータント・メッセージ』
マルロ・モーガン・著
小沢瑞穂・訳
角川文庫
この記事を書いた人
- 町工場の多い東京下町で育つ→バンコクで情報誌の企画・編集→編集者→京都在住。人生の中で、多くを旅について考えることに費やしてきました(鼻炎持ち&虫に弱いので旅スキルは低め)。旅の在り方を見直す時期にある今、「にちにち」では本を通じて暮らしの中の旅=非日常を皆さんと模索していきたいです。