福島県は猪苗代町にある「はじまりの美術館」は、主に知的・発達に障害のある作者の表現を軸に様々な企画展を開催する美術館。猪苗代町は、2011年には東日本大震災の被害を受けた地域。震災からの復興を経て、誰もが安心して暮らせる寛容で創造的な社会づくりを理念に、その立ち位置を明らかにしてきました。アートを通じて同館が目指す社会には、一体どんな風景が広がっているのでしょう?館長の岡部さんに伺いました。
はじまりの美術館を運営する安積愛育園は、福島県郡山市で知的障害者の支援事業を主に行う社会福祉法人です。館長の岡部さんは元々こちらの事業所で支援スタッフとして働いており、利用者さんの活動をサポートするなかで、彼らの創作活動には、いつも心を掴まれるものがあったと話します。
「果たしてこれらをアートと呼んで良いのか?と戸惑いながらも、彼らの作品にいつも心を揺さぶられていました。言葉にすると堅苦しくなりますが、人間の根源的な表現の力とでも言いますか。多くの方に見ていただきたいと思い、展覧会や公募展に応募するなど、次第に作品を外へ出すようになりました」
そこでご縁があったのが、2010~2011年にフランスはパリのアルサンピエール美術館で開催された「アール・ブリュット ジャポネ」展でした。主に知的に障害のある日本の作家63名を紹介する大規模な企画展で、そこに愛育園の一人の利用者さんの作品が選ばれました。日本の福祉業界にとっては大きな出来事だったと岡部さんは振り返ります。
「それまで日本では、障害のある方の作品はほとんど評価されていませんでした。施設のバザーで安く売られたり、溜まったらポイと捨てられてしまったりも。海外では専門のマーケットや美術館が既に確立していたので、海外で高まった評価を日本に持ち帰り、あわせて障害のある方の社会的地位向上を図っていこうという気運が高まり、関連施設を整備する構想が立ち上がったんです。そこに手を挙げたことを機に、本館の設立が決まりました」
はじまりの美術館では、障害のある方の作品を軸に、現代アートや民藝といった幅広い作品を企画に合わせて紹介しています。ですが、岡部さんは「障害者アート」という呼び名には違和感がある、と眉をひそめます。
「施設で働いている時から、関わっている人たちはそれぞれ一人一人の“○○さん”であり、“障害者”として一括りにはできないと思っていました。それと同じで作品も、特別な人が描いている・特別だから描ける=“障害者アート”ではないんです。そんな前置き無しに、まずは作品そのものを見て!と思います」
最近目にする機会の増えた「アール・ブリュット」という呼び方も、本来の意味合いからは少しずれて「障害者の」というイメージが付いてきています。そういった名称は、容易に伝わりやすくなる一方で、言葉が一人歩きする危険性もはらみます。同館では、こうした言い回しはできるだけ避けているそうです。
「障害の有無に関わらず、すべての人にとって暮らしやすい社会ってどんなものでしょう。みんなで一緒に考え少しずつ実現していく、展覧会もそのきっかけになればと企画しています」
築140年超の蔵を改修したという館内に入ると、目に飛び込んでくるのが、一本の太い梁。これは通しで18間あることから、蔵は十八間蔵という呼び名がついたそう。この建物、明治期に酒蔵として建てられたものが、織物工場やダンスホール、住居、倉庫など、その役割を様々に変えてきました。2011年の東日本大震災では、この梁がしなることで揺れを吸収し、お陰で大きな被害は逃れたものの、美術館開設に向けた改修工事には大幅な遅れが生じました。この震災・復興を通じて、岡部さんの心境にも大切な変化があったと言います。
「利用者さんの大半は避難できない方々だったので、彼らの身の回りを整えたり、変わらずサポートを続ける日々でした。そうしているうちに、あちこちで“復興”が叫ばれるようになり、復興って一体何だろう?との思いが募っていきました。道路が一新され大型店舗が建つのが復興なのか?いや違うな、と。街のみんなが自分たちの手で身近なところから整えていくことで、街や街の誰かを想う気持ちが育まれていく。それが、あるべき復興の姿なのではないかと気付いたのです」
行政任せではなく、人びとが自主的に関わることで、より良い街ができていくはず。岡部さんのそんな気づきは、美術館開館に向けて確信へと変わっていきます。「震災がなかったら、美術館は今の形になっていなかった」と岡部さんは続けます。
「福祉と地域コミュニティとアートって、最初は全く別のものだと思っていたんです。でも震災を経て、それらがすべて重なり合っていることに気づいて。社会的に弱い立場にある人たちが安心して暮らせる街というのは、誰もが安心して暮らせる街とイコール。アートも特別なものではなく、日々が豊かになったり、新しい発想を得たりと、生活と地続きにあるものだなと。そういった想いを広げるべく、美術館を街の人びとが繋がるハブ的な存在に、という考えに行き着きました」
そこから生まれたのが、街の人が集まり様々な活動を行う「寄り合い」です。例えば、町民目線の町歩きマップを作ったり、美術館の緑化を企画・実行したり、テーマは様々。こうした顔が見える繋がりは、震災のような有事の際にも大きな力となりそうです。
「ここで世代を超えて繋がった人たちが、街の別の場所で活動を始める流れもでてきています。いざという時に、繋がっているというのは心強いですし、誰かを想う気持ちの土台にもなります」
岡部さんは最後に、福祉という言葉のもつ意味について教えてくれました。
「福祉って、実は“しあわせ”という意味の漢字が2つ重なってできた言葉なんです。そこに込められた願いは、社会的に弱い立場にある人だけのものではなく、すべての人に向けられたものだと私は思っています」
「福祉」が内包する、本当の人の幸せ。そこには、私たちが目指すべき地域社会の姿が広がっていそうです。
岡部兼芳(はじまりの美術館館長)
1974年福島県郡山市生まれ。福祉作業所支援員、臨時教員を経て、2003年社会福祉法人安積愛育園入社。利用者の表現活動をサポートする「ウーニコ」に携わる。
この記事を書いた人
- 町工場の多い東京下町で育つ→バンコクで情報誌の企画・編集→編集者→京都在住。人生の中で、多くを旅について考えることに費やしてきました(鼻炎持ち&虫に弱いので旅スキルは低め)。旅の在り方を見直す時期にある今、「にちにち」では本を通じて暮らしの中の旅=非日常を皆さんと模索していきたいです。