東日本大震災直後、震源地に最も近い街・石巻で市民のDIY工房としてスタートした〈石巻工房〉。現在は海外からの評価も高いデザインの家具を制作している。工房長の千葉隆博さんに、ものづくりについて、それからDIYと防災の交わるところを伺った。
震災からわずか3か月で立ち上げた石巻工房
工房の代表は東京で建築家・デザイナーとして活躍する芦沢啓治さん。芦沢さんは震災直後に訪れた石巻で、とある居酒屋と出会う。地震と津波の被害に遭うも、店主自ら、ボランティアとともに泥を搔きだし、DIYで立て直した店だった。再開した店には、電気が復旧する前から人が集まっていたという。
DIYの力で再び人が集まる光景を目の当たりにした芦沢さんは「DIYでさらに何かできないか」と考えた。そして震災からわずか3か月ほどで石巻工房を立ち上げた。
工房長の千葉さんは石巻生まれ。千葉さんは当時、父の営む鮨屋で職人をしていたが、津波に遭い、店は休業。そこで同級生が営む和食屋〈松竹〉を手伝っていたところ、芦沢さんと彼が立ち上げた石巻工房に出会った。
震災後、ドネーションで集まったツーバイ材といくつかの工具。石巻工房の家具は、それを使って震災に遭った人々が使える家具を作る、というテーマからスタートした。
「材料はこれ、道具はこれ、作る人は元鮨屋(笑)。デザイナーに対しては、それでできる物というオーダーになる。いわば日曜大工にデザインを掛け合わせているのが僕たちの価値。複雑な形ではなく直線で構成されたシンプルな物で、釘やビスも見えている。このシンプルさが潔かったり、とがって見えるようですね」
海外では「石巻」の地名と震災が結びつかず、バイヤーは純粋にデザインや作りを見て買い付けを決める。その後で、工房が生まれたストーリーを知って追加オーダーを入れたバイヤーもいた。
海外からのオーダーに加え、ハーマンミラーやカリモクといった国内外のメーカーとの協働、さらにはロンドン、ベルリン、マニラなど、希望のあった土地のメーカーにデザインを提供し、制作と販売を任せる「メイド・イン・ローカル」など、次々と大きなプロジェクトを成功させている石巻工房。その力強い姿勢の源はなんだろうか。
「力強く映っていますか(笑)。当の本人たちは、単純におもしろそうだから、たのしそうだから、というのが原動力。DIYが好きな〈DIYヤー〉として、ない物は作ろう、道具がなかったら工夫しよう、壊れたら直そう、という本能があるんです」。こちらの気負いを制するように、千葉さんはしずかに、でも時折いたずらっぽく答える。
物が壊れたら、直すよりも買い替えたほうが早いし安いと考える人が多い時代だ。そもそも直す、ましてや物を作るという発想もない人のほうが多いだろう。「僕は面倒くさがりだから壊れたら自分で直すし、買った物でもより使いやすいよう手を加えたりします」
面倒だから、と買い直す人は、短期的には楽かもしれないが、物のしくみがずっと分からないまま、また壊れたら買うしかない。一方で千葉さんは長期的な楽を選ぶ。しくみの本質を見て、自分で作ったり直すから、たとえまた壊れても自分で直せる。本質を理解するから応用が効くし、全体が良くなっていく。「面倒くさい」の定義が違うのだ。
「子どものときから家電の仕組みを知りたくて、よくバラしてまた組み立てていましたね。TVをバラしたときはどうしても直せなくて、親にめちゃくちゃ怒られましたが…(笑)。それに津波で店が壊れたときに、工務店に修理を頼んだとしても周りが全部そんな状況ですから、待っていても来てくれません。そしたら次の手として、ある物で直すしかないですから」
ライフライン、物流が止まったとき、買い直しはできなくなる。自分で作ったり直したりする力を養うために、石巻工房のWSでは、教えすぎないこと、説明しすぎないことを大切にしている。「そうすると、必ずみんな何か、失敗するんです。組み方や順番を間違える。でもそれがいいんです。失敗を経験しないと学びは得られない。失敗してもいいよ、という場にしています」
自分で作ったり直したりする人は、既存の製品やしくみを疑うことができる。震災で石巻は1か月半ほど水道が止まり、水洗トイレも使えなくなった。避難所ではプールからバケツリレーで水を運んで流していたが、人数が多い場所では労力がかかりすぎる。千葉さんは、緊急的にトイレにゴミ袋をかぶせる方法を教えてくれた。ゴミ袋のなかに新聞紙を敷いて、その上に用を足し、上からまた新聞紙をかけておく。これがある程度たまったらゴミ袋の口を縛って処分する。労力がかからないし、新聞紙で前の人のものが見えることもない。縛ってしまえば匂いもしない。「水を汲むというパターンAが大変だったら、パターンBを考えたらいいと思うんです」
地元・石巻では、まだ工房の名を知らない人が多い印象だというが、千葉さんはそれがちょうどよいと考えている。地元の人に「渋谷のブルーボトルコーヒーに行ったら石巻工房って焼き印の付いた家具があったんだけど、あれは何?」と聞かれたことも。それなら完全に東京や海外志向かと言えばそんなことはなく、地元の顧客からの「テーブルの脚を少し短く作ってほしい」「この隙間に入る棚を作ってほしい」といったオーダーにも可能な限り細やかに応えている。
また家具のショールーム+カフェ+ゲストハウスを兼ねる〈石巻ホームベース〉に加えて、現在、隣の建物をWSエリアとして整備。年内には当初の精神に立ち返った「市民工房」ができる予定だ。グローバルな展開と地元を大切にする両輪を持っていることが伝わってくる。
ビジョンがないのがビジョンなんです
千葉さんは、キャンプ好きでもある。不便な局面でいかにたのしむかを考える癖が付いている。今はキャンプブームもありあらゆる用途の便利なギアあるが、それらに頼らず、身近にある物でなんとかするのがおもしろいのだという。
「震災でいろいろな経験をしましたけど、あのときはたのしまないとやっていられなかった部分があります。どうしよう、どうしよう、と言っていたら精神的にやられていたと思う。たのしむしかない、とにかくなんでもたのしむ。ある物でなんとかする。そういう気概がないとやっていけなかったと思うんです」
今も出張に行くと、千葉さんはその地域の海抜を確認する。また日本各地で災害があるたびに、この場合はどうしたらいいだろうと改めて考える。状況をよく見て、よく聞いて、よく考える。日頃から手を動かしていろいろな物を作ってみること、想像力を鍛えておくこと。ものづくりの知恵は、そのまま災害時に身を守る知恵となる。
工房の今後のビジョンを訊ねると「ビジョンがないのがビジョンなんです」とやはり少々拍子抜けする答えが返ってきた。「やって来た流れに乗って、いかにたのしく仕事をするか。それだけなんです」。そうやってひとつひとつの家具を実直に、かつたのしんで作りながら、千葉さんはきっとまた事も無げに、チームを率いて次なる大きなプロジェクトをやって見せてくれることだろう。
この記事を書いた人
- 広告会社勤務後、フリーライター。生まれ育った東京から高知、さらに鹿児島へと移住。コラムやインタビュー記事を中心に執筆。インタビュアーとしても活動。