「石巻はつまらない街」の気持ちから生まれたIRORI石巻


宮城県石巻市の中心街にあるオープンスペース「IRORI石巻」。2011年の東日本大震災で被災したガレージを、関わる人たちが自ら改修し、同じ年の12月にシェアオフィスとしてオープンした。2016年にはさらにリニューアルしてカフェ、ホールを併せ持った場に。当初は震災ボランティアなど県外客がメインだったが、今ではインスタ映え写真を求めて訪れる地元の高校生など、地域内外の人が訪れるように。復興のひとつのシンボルのようなこの場を作り上げた、一般社団法人ISHINOMAKI2.0代表・松村豪太さんにお話を聞いた。

 

 

つまらない街から世界で一番面白い街へ

「僕たちは、復興支援団体ではないんです」と松村さんが明言するのには、生まれ育った石巻の街に対する複雑な思いがある。「僕は石巻をつまらない街だった、と堂々と言っているんです。震災の2011年頃は失われた20年のピークで、若者が夢を抱けない、所得も低くなっている、そんな疲弊した地方都市の典型だと思っていました」

石巻は東日本大震災の震源地に最も近い街。地震と津波の被害は甚大なものだった。松村さんは仕事場の2階にいたところ地震に遭い、やがて津波がやってきた。1階の天井まで水は達し、そのまま「津波の上」(松村さん)にあたる建物の2階で一晩を明かした。自宅にたどり着けたのは2日後で、水の残る場所を腰まで浸かりながらの道のりだった。

それから10日ほど経ち、松村さんは泥かき作業などの傍ら、それまで仕事の一環で運営していたブログ(現在のタイトル「爆心地から ~ がんばっぺ石巻~」2011年3月の記事)を通して、被災地の状況を写真付きで発信し始める。それを見た県外のボランティア希望者から連絡が入るようになり、自然と人を必要な場所につなぐ役目を担うように。そうするうちにさらなる人や情報が松村さんのもとに集まり、集まった地域内外のメンバーと一般社団法人ISHINOMAKI2.0を立ち上げた。

震災直後から驚異的なエネルギーとスピードで、「IRORI石巻」をはじめ、街の様子を知らせるフリーペーパーの発行、高校生に学びの場を提供する教育プロジェクト、地域内外の人が集まれる「復興バー」立ち上げ、店舗の二階などを改修して借り手とマッチングさせるサービス「2.0不動産」など、多くの場や活動を興してきた。

「震災に遭った街を元に戻す復興はしたくない。ここから世界で一番面白い街を作ってしまおう」松村さんはそう決めた。都市ではできないビジネスや観光のスタイル、オープンな交流……本来地方都市はもっと可能性があると思っていた。「震源地にいちばん近いところからそういう街のプロトタイプを始めたいと思ったんです」

 

石巻2.0がしかけた芸術祭

震災から10年が経ち、現在の石巻はインフラをはじめ、復興がかなり進んだという。堤防や橋の再建、道路の拡張、建物の再開発……大規模な復興事業の結果、新しくてきれいな街並みが作られつつある。「でも僕にとっての街の大きな変化は、むしろそういう大きな工事で残った隙間のほう。そこにいろんなクリエイティブな、おもしろい取り組みや生業が生まれているんです」

例えば、お花屋さんを家業としていた方が、店の2階を改修。「アートドラッグセンター」というアートギャラリーになった。また呉服屋さんの若旦那は、いつの間にかオリジナルの「石巻こけし」を制作する作家になっていた。どちらも元々の家業とアーティストの二足の草鞋だ。ちなみに石巻には元来、こけしを作る文化はないそうだ。さらに移住者も加えると、クリエイティブな活動をしている人や取り組みの数は20を下らないという。

昔からものづくりをする文化が根付いていた街かというとそうではないと松村さんは言う。「水産業と大規模な製紙業が基幹産業で、効率的に魚を捕ってお金を稼ぐ人が尊敬される。直接お金に結びつかない文化とか芸術には関心が薄い風土だと思います」

ではなぜ、震災後にこのような取り組みが増えたのだろうか。石巻2.0がしかけた芸術祭「Reborn-Art Festival」がその一端を担っているのは間違いなさそうだ。例えば2017年の同イベントでアーティストの有馬かおる氏によって作られたアートスペース「石巻のキワマリ荘」は、その後も運営者を変えながら今も石巻のアートを担う場のひとつになっている。「そうした動きがひとつのきっかけになって、徐々に日常と変わったこと、表現やものづくりをするのが街の一部の人にとっては普通になってきたのかな、と思います。ISHINOMAKI2.0が直接関わっていないものも多々あって、既に街の動きになっている。すごくうれしい変化ですね」

クリエイティブな場が散在するようになった石巻の街で、IRORI石巻はハブの役目を果たしている。普段はカフェとして営業している場所が、イベントの際はテーブルとイスを取り払うとそのままホールになる。「カフェ、ホール、コワーキングスペースの境界があいまいなので、何かやりたい人にとっては自由に使いやすいんだと思います」

イベントからはつながりが生まれる。「サードプレイス、部活動、2枚目の名刺。そんなありかたをたのしむ人が増えたらいいな、と思ってIRORI石巻でもさまざまなイベントを仕掛けています。家庭や職場といった日常とは別のつながりが広がっていくと、固定概念が外れて、見える街のおもしろさ、可能性も広がっていきます。ルーティンを外れた非日常には、それだけでワクワクさせられますしね」

さらに、つながりを広げておくことは災害時にも役立つ。「瓦礫に埋もれて見つからない人を見つけるとか、届きにくい支援を届けるためには、つながりは多いほうが、そして濃いほうが絶対にいいですから。つながりが少ない人は、まずはバーで隣になった人に声をかけてみるとか、小さなことからやってみたらいいと思います」

 

震災時にシンプルなものが力を発揮

備えについては震災で「ローテクの強さ」を痛感した。「複雑な機構を持っているもの、電気や電子回路で動くものはまったく用を足さなくなって、シンプルなものが力を発揮しました。石油ファンヒーターではなく、外から線香などで着火ができるストーブや火鉢。TVは使えなくなっても単3電池1本で着くラジオがずっと情報を流し続けてくれたし、水洗トイレは使えなくなりましたが、田舎のほうにあるぼっとんトイレは機能し続けました。ローテクなもの、そしてそれを使う知恵も備えておいたほうがいいと実感しました」

またそれらのツールを防災用として備えておくだけでは不十分であるという。「〈防災用〉としておくと、どこかへしまいこんだり、使い方が分からなかったりして必要なときに使えないことが予期される。日常から古いものを愛でる、たのしむ文化があったほうが、いざとなったときにも移行しやすいでしょうね」

松村さんは人に対しても同じ視線を向ける。「昔ながらのやり方で何かを続けているような、変わっている人、濃い人って話が独特過ぎたりして、面倒くさいと思われがちだけど、僕は大好きなんです(笑)。人もものも、新しさだけでないおもしろさに目を向けていたほうが絶対に人生たのしいと思うんです」

「僕の原動力はつまらなかった街に対する鬱屈した気持ち」と評する松村さんだが、震災が起こったとき、その怒りは街の人のために何かせずにはいられない強い気持ちにひっくり返った。そこにどんどん人とエネルギーが集まった。県外からも強力なサポートが集まったのは、松村さんが外の人の力も歓迎していたからこそ。

「街づくりにおいて、地元原理主義ってあると思うんです。なんでも地元で調達するのが良しとされるような…でも僕はそうじゃない。地域の中と外の人が軽やかに行き来して交流できる、オープンな街をめざしているんです」拠点を担うIRORI石巻は、外から訪れた人のロビーの役目も果たしている。

一般社団法人ISHINOMAKI2.0代表・松村豪太

街の人/外の人。新しいもの/古いもの。ビジネス/文化、芸術。つい絡め取られそうになる、たくさんの「こちらが正しい」。松村さんはそれらの正義を軽々と超えて、ただひとつの「面白いかどうか」という軸を胸に、IRORI石巻から多大なエネルギーで街をアップデートしつづけている。

この記事を書いた人

小野好美
小野好美
広告会社勤務後、フリーライター。生まれ育った東京から高知、さらに鹿児島へと移住。コラムやインタビュー記事を中心に執筆。インタビュアーとしても活動。