半径1.8mクリエイティブ vol.1
わたしと娘のアートワーク


20代のころ、クリエイティブ畑と呼ばれる分野の端くれでがむしゃらに働いていた。
会社のマンションに同僚と雑魚寝したり、3日ほどお風呂に入らないこともあったが、とても充実した日々を送っていたように思う。
美術系の学校を出たわけでも、趣味で何かを表現してきたわけでもなかったが、盲目的にクリエイションに恋していたのだ。

某広告制作会社で働いていたある日、コピーライターだったわたしは、自分の書いた文章をプリントアウトしようと、コピー機の前に立っていた。すると、ビービーとパンフレットのゲラが印刷されてきた。そして、呆然と立ちすくんでしまった。別の部署に所属していたライターの抜群に上手い文章だった(この方はその後フリーになって大活躍していると風の便りで聞いた)。

またあるとき、小さな町のデザイン会社でグラフィックデザイナーの見習いとして働いていたこともあった。チラシの制作でタイトルの位置が決まらなくて、先輩にアドバイスをもらいにいった。すると、ものの数秒でククッと位置を修正し、まるでこれが正解かのように素敵なデザインに仕上げてくれた(この先輩は、別の会社へヘッドハンティングされた)。

そして某雑誌社で編集者をやっていたときは、編集長の大ホールで繰り広げた次年度の企画発表に立ち合い、ドンと腹落ちする素晴らしいコンセプトに涙しそうになった。(企画を見て泣きそうになったのは後にも先にもこの1度だけ)。

こんな感じで10年間、職業としてクリエイティブという名の仕事をやってきた。そして、悟った。うむ、ちょっと向いていないな、と。向こうは振り向いてくれない、一方的な片思いだった。

それから、わたしは結婚して妊娠し、一切の仕事を辞めた。夫の希望でもあったし、職場でちょっとした行き違いもあったし、なによりおそろしいほど凡庸な自分の才能に心底うんざりしてしまったのだ。

出産後は3人の子育てに専念した。ある日、長女が幼稚園から自分で描いた絵本をもって帰ってきた。10円玉を落としたお猿が、10円玉探しの旅にでる話だった。すごいねー、おもしろいねー、というと長女はにこにこしている。創作に対して素朴に楽しんでいる気持ちがぐっと伝わってきた。

著名なアーティストやプロのクリエイターでなくても、イチから何かをつくりだすということはそれだけで満たされる“ひとつの報酬”なんだな、ということに気づいたのだ。“つくることは、ハッピーだ!”ということだ。

長女はその後も、折り紙やアイロンビーズ、手芸にいたるまで、何でも興味をもってやった。わたしは長女がやりたいということはすべて準備し、一緒につくるようにした。出来上がった作品の中でも、特に気に入ったものはマスターピースと呼び、壁に飾った。壁のたくさんのマスターピースを見ていると、もやの中で晴れ間が差し込んでくるようなすがすがしい気分になっていた。

ところで、私の亡き祖母は、その昔、縫製工場で働いていて裁縫がとても得意だったそうだ。母が高校に進学するとき、祖母は祖父の背広の生地で、1ミリの狂いもなく、制服をそっくりそのまま仕立てたそうだ。ただ少し丈が短いのを除いては。

その器用さを長女(8歳)も受け継いだのかもしれません。ビーズを糸に通すのもスッスッとやってのけるし、生成りの買いものバッグにローマ字で私の名前を刺繍してくれたりもした。色合いもおしゃれだと(親ばかながら)思うし、制作スピードも早い。うらやましい。

学校の授業では、図工が好きなようだ。長女の絵はこどもらしく明るい色遣いで見ているこちらもウキウキする。絵のコンクールで入賞したこともある。かすかに嫉妬を覚える。そんな長女に絵をかくときに気を付けていることを聞いてみると、影のバランス、とのことでした。対照物に対して影が大きすぎたり、小さすぎると、途端におかしくなってしまうらしい。レンブレントさながらの発言に唖然としたが、確かに光と影の調和は大切だ。光だけでもバカみたいだし、影だけでも苦しくなる。何においてもバランスは大事だよな、と思う。

他には?と聞いてみると、工作なんかは頭に浮かんだものを、そのままつくっているそうです。頭に浮かんだものを、そのままつくれるの?と聞くと、マインクラフトをやってるからつくれるよ、とのこと。マインクラフトは、主に空間認知能力が鍛えられるといわれているが、具現化する能力まで鍛えられるんだろうか。ちょっと謎だ。

今年の3~5月にかけては、コロナ禍で休校になり、家で過ごしていたので、いろんなマスターピースができあがった。粘土遊びからはじまり、スライムづくり、スーパーボールづくり、プラ版製作、学校で使う給食袋、革のポーチやバッグまでつくった。中でもいちばん楽しんだのは、以前住んでいた家島の友だちとzoomで絵しりとりをしたことだ。

いま神戸に住んでいるのだが、以前は姫路から船にのって30分、瀬戸内海にある家島という離島に住んでいた。引っ越した後も、年に数回遊びに行っていたのだが、コロナの影響で、残念ながら今春は島へ渡ることを控えた。長女は自然あふれる家島が大好きなので、春休みに行けなくなってしまい、とても落ち込んでいた。そこで急遽、島の友だちのママにお願いしてzoomでつながることにした。

画面ごしに互いの顔を見ながら、何しよう?となったが、長女が絵しりとりをしよう、と言い、紙に絵を描いて画面に見せた。次の人は画面にうつった絵だけで判断して、続く絵を描いていく。何の絵を描いたのか、しゃべるのは禁止だ。「めがね」→「根っこ」→「コック」と続いたことがあったのだが、長女が木の「根っこ」を描いたとき、おとなたちは完全に「根」だと思ったが、こどもたちはすんなり「根っこ」と理解していて、親子間の隔たりにうっすら動揺したりした。

そんなこんなで小一時間ほど、絵しりとりをして、それはそれは盛り上がった。後ほどLINEでママたちが「とっても楽しかったみたいだよ」と送ってきてくれた。こんなふうに仲間たちとアートな(と呼べるほどではないけど)遊びをするのは、ひとりより数段楽しいものだ。

さて、私も娘に見習って、自分なりにもう一度表現することをはじめようと思い、寝る前に日記を書き始めた(他にも家でできることをやりはじめたが、そのことはまた追って書きたいと思う)。

取るに足りない内容だが、育児の記録代わりにもなるし、ストレスの発散にもなる。こどもたちとの楽しい会話も残せるし、家族の体調が悪いときの覚え書きなんかにも使える。おもしろかった映画やテレビ番組について、ささやかなアウトプットできる場でもあるのだ。こうして(ほぼ)毎日こつこつと書いていたわけだが、続けるといいことがあるものだ。友人のつてで、こちらのサイトで書かせていただくことになった。

こうやって、落ちこぼれの私がまた、公の場で文章を書くことになったのだ。そして確信したのは、書くことというのは、私のクリエイティブの原点であり、喜びなんだな、ということである。

とまあ、こんな感じで、これから、わたしの周りのささやかでクリエイティブなできごとを綴っていきたい。

この記事を書いた人

しまかもめ
しまかもめフリーライター
(株)大阪宣伝研究所にコピーライターとして勤務。その後、デザイナー、編集者、フリーペーパー営業、ネットショップ企画運営を経て、独立(コトバアトリエ)。神戸市在住の3児の母。