半径1.8mのクリエイティブ vol.9
理想とは違ったけれど。


わたしの夫は教師だ。とても忙しく、だいたい終電で帰ってきて、朝早く出勤する。結婚生活も12年だが、一緒に過ごした時間をトータルすると3か月にも満たないかもしれない。

12年間の結婚生活の支えになった一杯のコーヒー

あまりに顔を合わす時間がないし、健康に支障をきたす気がして、夜間学校の方に移ったらどうか、と言ったことがある。そうすれば、少なくとも朝は少しゆっくりできる。ところが、夫は、夜間学校に行けば部活があまりできない、部活動は教師の醍醐味だから、と言うので、私は返す言葉が見つからなかった。
わたしも仕事を熱心にするタイプだったので、夫の心意気は理解するが、母親としてはこどもたちが不憫に思える。長女は、パパは年に6日(家族の誕生日+クリスマス)しか家族で晩ごはんを食べないと言っているほどだ。
結婚した最初の5年ほどは、へき地と呼ばれる地域で暮らすことになり、子どもも小さく、若い母親として例外なく孤独だった。新婚当初暮らした町は雪国で、町民は朝の4時起きで雪かきをしてから出勤するような土地柄。冬は室内でも心底体が冷えた。あたたかい地域にずっと暮らしてきたわたしには初めての経験だった。雪道をとぼとぼ、長靴にリュックを背負って買い物に出かけたときは、なぜか涙がこぼれた。
夫なりにフォローしてくれていたとは思うが、一貫して忙しい人で、子どもをお風呂入れるためだけに帰宅するような生活だった
ふたりで働いて、ふたりで子育てするような、今風の夫婦にあこがれていたので、理想の結婚生活とはほど遠かった。

夫はとてもやさしい人ではあるけれども、昭和的な思考の持ち主だったし、わたしは今生きている時代を存分に咀嚼したい人であった。
ときどき何で結婚しているんだろう、とか、来世ではもっと別の人生を送ってやると思ったりもした。
最初は変わってくれるかも、と期待して、夫のクリエイトにいそしみ、聞かれてもいないアドバイスをしたり、憤慨して説教したりしたが、夫は不器用な性格に加えて、押しても引いても動じない大木のような人だったので、次第に静観することになった。

というわけで、今回ばかりはクリエイトできずにいる。

夫とはアイルランドで出会った。同じ語学学校で同じ宿舎だった。授業が終わったあと、彼(のちの夫)や仲間たちとアイリッシュパブに繰り出しては、ギネスビールやアップルサイダーを呑み交わしたりして楽しく過ごしていた。

ある日の昼下がり、わたしは共用のダイニングテーブルに座ってぼんやりしていた。
すると彼がやってきて、わたしの目の前にコトリとマグカップを置いた。一杯のホットコーヒーだった。
わたしは驚いた。こんな不器用な人(仲間たちからもよくclumsy=不器用と言われていたのだ)がわたしのためにコーヒーを淹れてくれたのかと。
彼にとっては特に深い意味はなかったかもしれない。
英語漬けの生活に多少疲れていたころだったから、ただの軽い景気づけのようなものだったかもしれない。
でも、わたしにとっては、この一杯のコーヒーは、特別になった。

先にも後にもコーヒーを淹れてくれたのはこの1回だけだ。
けれども、この一杯のあたたかいコーヒーが12年間の結婚生活の支えになったし、これからもそうなっていくと思う。
ちょっとズルい気がするけれど。

最後に一言、付け加えたいことがある。結婚後に知ったのだけれど、夫はそれほどコーヒーを好まない人である、ということを。

この記事を書いた人

しまかもめ
しまかもめフリーライター
(株)大阪宣伝研究所にコピーライターとして勤務。その後、デザイナー、編集者、フリーペーパー営業、ネットショップ企画運営を経て、独立(コトバアトリエ)。神戸市在住の3児の母。