人々のゆるやかにつながる場が、緊急時の備えになる。
大学院生・野尻勇気さん


災害大国、日本にとって、防災における建築の役割は非常に大きい。建物の耐震化など、直接的な災害対策はもちろん、日常的なコミュニティ形成の場として機能することで、ライフラインが遮断された緊急時に、人とのつながりに救われることは多いだろう。今回は、そんな「人とのつながり」を大切に、研究を進めている大学院の野尻さんにお話を聞くことができた。

「建築の分野でも自己表現できるのでは」(野尻勇気)

昔から絵を描くのが好きだったという野尻さん。小学生の頃、東京国立近代美術館の東山魁夷展覧会で見た「道」という絵に心奪われて、本格的に絵の分野でチャレンジしたいと思ったという。しかしながら、高校の美術コースでデザインを一通り学ぶ中で、周りのレベルの高さにショックを受けた。挫折を味わい、進路に悩んでいたときに、東山魁夷の美術館(香川県立東山魁夷せとうち美術館)を設計した谷口吉生さんの存在を知り、彼の建築に憧れ、「建築の分野でも自己表現できるのではないか」と可能性を探して、舵を切ることになった。

2015年、多摩美術大学の美術学部環境デザイン学科に入学。建築デザインを中心に学ぶ中で、住宅のリノベーションや、オフィス・複合施設・椅子の設計などの課題にも取り組んだ。

あるとき、友人が建築コンペに参加するためのプランとして「谷戸(やと)を題材にしないか」と持ち掛けてくれた。フィールドワークのために、友人と訪れた横須賀の汐入で、谷戸に住む人たちと出会った。
「谷戸とは、山に囲われた谷状の部分のことです。汐入は浦賀道の途中にある谷戸地域で、道幅が狭いので、通りかかる人たちが挨拶したり、自然に会話が生まれたり。急な坂道が続くので、声をかけられると元気をもらえました」。
保土ヶ谷から汐入を通り、浦賀に続く浦賀道は、険しい山越えが連続する街道だ。浦賀道を含む地域は谷戸地形が多く、平地に比べて住みにくいので、過疎化や高齢化が社会的な問題になっている。
「都会とはまた違った谷戸の光景、ゆるやかな人と人とのつながりに魅力を感じて、自分にも何かできることはないだろうかと考えました」。

こうしてできた「谷戸の傍らに」で、感境建築コンペ2019の提案部門優秀賞、減災デザイン&プランニングコンペ2020で入賞する。この作品は、浦賀道へと抜ける丘陵にある住宅で、大きな屋根と壁面いっぱいの木棚が特長だ。住宅の半分は住居とし、もう半分は共有スペースになっている。広い軒下で井戸端会議のような集いが生まれたり、木の棚を介してぶつぶつ交換したり、防災用品や薪を備蓄できたりする。夜は住宅の明かりが道を照らし、雨の日には雨宿りもできる。この住宅を拠点に「谷戸の暮らしを豊かにしたい」という思いが感じ取れる作品だ。

このように、自然と交流が生まれる場として機能するコミュニティスペースは、自ずと災害時にも役立つことが多い。「日常的に人と人が交流できる場が防災になり、緊急時の備えになると考えています」と野尻さんもいう。

可能性を感じた「薪のある賃貸住宅」

現在は、多摩美術大学の大学院に在籍し、「森林と住居をつなぐ薪のある暮らし」という「薪」を中心に取り入れた住まいのデザインについて研究しているという。これから「集まって住む薪のある賃貸住宅の実現に向けて」というテーマで論文も書く予定だ。

「薪をきっかけに、人のつながりが生まれる場をつくりたいと考えています。また、薪を調達するために、森林整備や里山活動に参加することが大切です。そうすることで、山の環境が維持され、近年多発している大雨による土砂崩れなど災害リスクを軽減することにもつながると思います」。
人だけでなく、山の循環のためにも薪を役立てるのだ。

ところで、野尻さんが薪に興味をもったのは、大学でお世話になっている先生の別荘にあった薪ストーブの体験だったという。薪を割って、乾燥させ、薪べるという薪暮らしの経験が、フレッシュでとてもおもしろかったそうだ。


大学4年生のときには、「薪で警鐘 まちのストレージとなる家」という作品で、フェーズフリー住宅デザインコンペに入選。これが現在の研究の元になった。

「薪のある賃貸住宅」の可能性を信じられたのは、八王子にある「アパートキタノ」の存在だ。最近急増しているDIY可の賃貸物件の一つで、半年ほどここで暮らしていた。退去後も入居者との交流は続いていて、「ピザ窯があれば住人同士のゆるやかなつながりが継続できるんじゃないかな」と、発案者の学生を中心にみんなでイチからつくることになった。2021年4月に出来上がり、初のピザ窯パーティを開催。
「薪と火を中心にした空間ができて、その可能性を発見できたように感じました」。


今後は、「薪のある暮らし」を広めていきたいと考えている野尻さん。薪を使った暮らしというのはハードルの高いイメージがあるが、賃貸物件で取り扱えるようにすれば、若い人たちも気軽に触れ合える機会を持てる。アフターケアやメンテナンスは課題だが、薪のある空間は、人と人のつながりを広げてくれる。それに災害時やサステナビリティに役立つ。だからこそ、薪に多くの人が希望をもってくれたらうれしい。

大学院卒業後は、薪ストーブを取り扱う工務店の設計課で働くことになっているそうだ。
野尻さんの提案する薪のある暮らしが、日常のゆるやかなつながりを促したり、山を守り防災としても役目を果たしてくれることを切に願っている。

野尻勇気
東京都出身。2019年多摩美術大学美術学部環境デザイン学科卒業。多摩美術大学美術研究科修士課程デザイン専攻環境デザイン領域松澤穣研究室に在籍。フェーズフリー住宅デザインコンペ2018入選、感境建築コンペ 2019優秀賞、減災デザイン&プランニングコンペ2020入賞。趣味は銭湯巡り、野球観戦、里山に通うこと。
YUKI NOJIRI 

この記事を書いた人

しまかもめ
しまかもめフリーライター
(株)大阪宣伝研究所にコピーライターとして勤務。その後、デザイナー、編集者、フリーペーパー営業、ネットショップ企画運営を経て、独立(コトバアトリエ)。神戸市在住の3児の母。