ボイパ第一人者がつくる音楽支援の輪
神戸発・防災音楽ユニット「Bloom Works」KAZZさん


音楽を通して防災を楽しく伝える、ユニークなミュージシャンがいる。今年2月、ワーナーミュージック・ジャパンより「Bloomin’〜笑顔の花咲いた〜」でメジャーデビューした「bloom works」だ。メンバーは、アコースティックの世界でシンガーソングライターとして活動してきた石田裕之さんと、日本でおけるボイスパーカッションのパイオニアでもあるKAZZさん。今回は、KAZZさんにこれまでの音楽活動のこと、防災と音楽の関係性についてお話を伺いました。


子どものころは、ジュリーに憧れて、よくマネをしていたというKAZZさん。学生時代には、ロックバンドのボーカルをしていた一方で、声楽を学び、バリトンシンガーとして大会にも出場していたという。ロックとオペラ、唱法が違うことがおもしろく、いろんな声色を使い分けることは、このころから身近だったそうだ。

20才のとき、友人に連れられて見た「チキンガーリックステーキ」のライブに衝撃を受けた。「チキンガーリックステーキ」とは、神戸を拠点に活動していた、日本のアカペラグループの先駆者だ。その後、1年間の付き人を経て、弟分としての「チキンガーリックJr」を結成。1994年に、新生アカペラグループ「Phew Phew L!ve」として始動した。

この「Phew Phew L!ve」で、KAZZさんが初めて取り入れたのがボイスパーカッションだ。これまでのアカペラグループは、リードボーカル、コーラス、ベースの構成だった。しかし、他とは違った、ロックのようにもっと観客がノレるようなライブがしたくて、ドラムを声帯模写できないか、と試行錯誤していくうちに形になっていったという。
「ロックやオペラで声の変化を楽しんでいたことが、自然にボイスパーカッションにつながりました」

KAZZさんのボイパを取り入れた「Phew Phew L!ve」のアカペラスタイルは当時まだ珍しく、関西のライブシーンで爆発的な人気を誇っていく。
1995年、神戸を代表するライブハウス、チキンジョージでのプロ初ワンマンライブを控えていた。その前日1.17に阪神・淡路大震災は起こる。自宅は全壊。チキンジョージは倒壊して、ライブは全てなくなった。「今までの流れが、すべて変わってしまいました」

震災から数か月たって、神戸元町には「元気食堂」がつくられた。被災したお店が集まってできた震災復興のための屋台村だ。「Phew Phew L!ve」は、そこに舞台を設けて、歌をうたうことにした。やってきたおじいさん、おばあさんをはじめ、聞いてくれた人たちが「元気になったよ」と笑顔をくれた。
「それまではプロではあったけれど、自分は大学生で、どこか甘さもあった。でも震災に遭い、人は死ぬんだな、と。ああ、それなら好きな音楽でプロになりたい。元気食堂で見た笑顔を日本へ、世界へと広げたいと、心底思いました」

1996年、活動を全国に広げるために、関西を拠点にしていた「Phew Phew L!ve」を抜けて、「BabyBoo」を結成する。「BabyBoo」では念願だったメジャーデビューを果たした。
2005年には、「神戸から世界へ」をコンセプトに「Permanent Fish」を結成。日本のアカペラをアジアに広めようと2008年に韓国でメジャーデビューし、2009年には大韓民国文化芸能大賞外国芸能人賞を受賞する。

こうして神戸から日本へ、世界へと精力的に音楽活動を行っていた中で、学校などの教育機関で、震災の語り部としての活動も行っていたそうだ。アカペラでライブ公演をする合間に、震災のときの体験を語っていたという。「BabyBoo」でも「Permanent Fish」でも、語り部としての活動を続けていた。
しかし、震災10年を過ぎた辺りから、語り部をしても震災の体験がリアルに伝わっていないと感じるようになった。南海トラフ地震はもうすぐやってくると言われている。そうでなくても日本は災害大国なのだ。果たしてこのアプローチでいいのか、と疑問が湧いたという。語り部というスタイルではなく、自分のスタイルで防災を伝える人になりたいと思った。

ちょうどそのとき、兵庫県立大学・大学院で減災復興政策研究科が新設されるのを知った。自分らしく防災を伝える第一歩として、「これや!」と思い、入学することに決めた。とにかく勉強したいという思いで入ったから、音楽活動は休止する予定だった。でも人の出会いはおもしろいもので、担当教授の浦川先生が大の音楽好きだったという。その浦川先生から「音楽を通して防災活動をやっている人がいるよ」と聞き、「ぜひ会わせてください」と。そこで紹介してもらったのがシンガーソングライターの石田さんだ。出会った翌日には「一緒にやろう」と誘った。
「運命以外の何物でもないですよね。僕は音楽を一旦やめるつもりで大学へ入ったから。音楽の神様がお前まだやめんなよ、と言ってくれた気がしたんです」


2017年に、音楽に防災を融合させたユニット「Bloom Works」を結成する。そして念願だった「BGMスクエア」という防災減災音楽フェスを開催することもできた。
大学院では、「いざというときの音楽による支援の枠組みづくり」をテーマに防災と音楽について研究していたが、音楽フェスもその一環だったという。石巻や熊本など各地のアーティストが音楽フェスでつながっておくことで、いざというときに手を取り合える仕組みをつくりたかった。

また、石田さんをサンプルとして研究もしてきたという。被災地に通いボランティア活動をしていた石田さんが、いつからか、音楽支援をはじめるタイミングがあったという。被災地には音楽という支援も必要になってくるのがデータとしても確認できた。

こうして見てみると、KAZZさんにとって「bloom works」活動そのものが、研究対象であるのかもしれない。


2017年、九州北部豪雨の被災地である大分県の日田市に、「bloom works」で慰問公演に訪れた。当時は、多くの人が避難したり、誰かが亡くなったりする中で、自粛ムードのような雰囲気があった。どんな被災地でも同じ状況になることが多い。そんな中、誕生日の歌をうたったら、あるお母さんが号泣したという。ちょうど誕生日だったそうだ。
「自重というものが緩んだんですね。音楽というのは、心の重みを溶かす力があるんだな、と思いました」

今後の目標は全国ツアー。夢はNHK紅白歌合戦出場だ。
広く知れわたることで、みんなが口ずさんだり、頭や心の中に織り込まれて、いざというとき動くことができるからだ。

メジャー第一弾「Bloomin’〜笑顔の花咲いた〜」は、防災をテーマに、みんなで歌えるようなポップな楽曲に仕上がっている。この歌をうたえばうたうほどに、笑顔の花が咲きほこる未来が待っているはずだ。

Bloom Works KAZZ
1972年、神戸市長田区出身。ボイスパーカッションのパイオニアとして、1994年Phew Phew L!ve、1996年babyboo、2005年Permanent Fishを結成し、日本のアカペラシーンをリードしてきた。2009年、Permanent Fishとして大韓民国文化芸能大賞 外国芸能人賞を受賞。
2017年、兵庫県立大学大学院・減災復興政策研究科に入学。同年、シンガーソングライターの石田裕之と、防災音楽ユニット「Bloom Works」を結成。2021年「Bloom Works」としてワーナーミュージック・ジャパンより「Bloomin’〜笑顔の花咲いた〜」でメジャーデビュー。
趣味は、誰でも弾けるという新しい楽器「インスタコード」を弾くこと。


この記事を書いた人

しまかもめ
しまかもめフリーライター
(株)大阪宣伝研究所にコピーライターとして勤務。その後、デザイナー、編集者、フリーペーパー営業、ネットショップ企画運営を経て、独立。神戸市在住の3児の母。