福島県福島市で5代に渡ってつづいてきた老舗の眼鏡店「OPTICAL YABUUCHI」を経営する藪内義久さん。その肩書は眼鏡店店主にとどまらず、眼鏡作家、店が入っているビルの経営、食堂経営、ビルのある「県庁通り商店街」の理事とさまざま。店やビルのリノベーションを自ら手掛け、駐車場には小屋を建てて若い人に出店を促し、震災後には商店からの復興をめざす社団法人を立ち上げアクションと募金をつづけ、またかつては音楽イベントを主催したりと、自らの手足で力強く街の風景をつくりつづけている人です。
最近は、次世代へ継承することを軸に活動している藪内さんに、震災を経て未来につながる街づくりについて伺いました。
「震災のとき、自分は妻のお腹に子どもがいたこともあって、福井県に1か月ほど避難したんです。それで自分は出遅れてしまったんですけど、例えばピックアップという洋服屋さんは、一人暮らしの人とか、不安だけどどこに行っていいか分からない人が集まる場所になっていた。みんな仕事も休みだし、拠り所がなかったけれど、そこになんとなく集まっていて。その姿を見て、お店としてひとつの役割を果たしているなと思いました。
その場所で、開けているからできること。今後災害などがあった際は、自分の店もそういった存在でありたいですね。場所を提供すること、コミュニティのお手伝いをすること。具体的にはお茶を出したり、震災の規模によっては炊き出しの場所に使ってもらったりとか」
まったく馴染みのない店では、いざというときも入りにくいものですが、藪内さんのお店をはじめ、福島のお店はお客さんとの距離がとても近いのだそうです。
「日常的に、みんながよく話をしに来てくれるんですよね。『高校合格したよ』とか。東京で働いていたときは、お客さんと遊びにいくとか、考えられませんでした。でも、福島だとお客さんから手紙をもらったりするんです。最近うれしかったのは、小さいときから見ていた子が、コロナで学校も休みで話し相手がいなくて参っている、と。それでその子のお母さんが『藪内くんのところに話しに行ったら?』と言ってくれたそうなんです。この街にいてよかったな、と思いますね」
眼鏡はそう頻繁に買うものではないし、眼鏡屋さんも、そう頻繁に行く所ではない人が多いのではないでしょうか。でも藪内さんのお店は、みんなが頻繁に訪れる場所になっているのです。
「『眼鏡屋さんぽくない眼鏡屋になろう』と思ってやっているんです。店の隣のスペースで、みんなでバーベキューをやってもいいし、屋上でイベントをしてもいい。いろいろやっていい。楽しいこと、格好いいことをやっていたら人が集まってくる。街の魅力につながったら何をやったっていいと思うんです」
お店の改装、ビルのリノベーション、イベント、と大がかりなことも、自分の手を動かして成し遂げてしまう藪内さんの精神は、小さなころから入っていたボーイスカウトが培った部分も大きいようです。
「幼稚園から高校卒業までボーイスカウトをやっていました。例えば山のなかの不便なところで、どう楽しくするか、どう快適にするかも自分次第だ、という話を覚えています。同じテントでも、立てる人によって出来上がりかたが違うことも学びました。おかげでキャンプするときも特に気構えがなく、なんとかなるな、と思います。ロープの縛り方、火起こし、料理、手旗信号……そういった能力を磨いて、困っている人を助けるという活動を実地でいろいろ経験しました」
災害への備えにも、ボーイスカウトの経験は大変役立ちそうです。
「ボーイスカウトのスローガンって『そなえよつねに』なんです。キャンプや救命の訓練などずっと行ってきていて、昔から緊急事態には備えておきたいという意識がありますね。さらに震災も経て、食料備蓄のために大型冷凍庫を導入しました。真空パックにできる機器も買ったので、余ったカレーとか釣った魚、収穫した梅など、日常的にストックしています。今までだったら食べきれない、保管できないという理由でもらわなかったり買わなかったものをストックに回すようにしました。
ガスもプロパンにしていて非常時でも使いやすい。あとは電気をオフグリッドにできれば、と思ってテスラのバッテリーとソーラー発電の導入を今検討しています。キャンプも好きなので、キャンプ道具も奥さんに『震災のときにも使えるから』と言って多めに買わせてもらったり(笑)」
「でも登山用の小さなバーナーとか、小さい鍋とか、災害時にも良さそうですが、実際にはそういうとき使いにくかったりするんですよね。日常で使っている、普通のものをまとめたり持ち出せるようにしておくことが大事だと思います。1か月の避難でそれを実感しました。家でしばらく過ごすのか、家にいられなくて外で過ごすのか、その期間によっても備えは変わってくるので、シチュエーションを想定しておくのも大事ですね」
ボーイスカウトの達人の藪内さん。私たちが普段からできる防災のヒントはどんなものでしょうか?
「震災を経て、普段の買い物のときに、長く使えるか、災害時にも使えるかという基準が加わりました。そうしたことが意識の片隅にあるといいですよね。あとは備蓄用食糧の賞味期限を知らせてくれるアプリとかあったらいいですね。期限が近付いたら食べて、次のものを買えば無駄にならないし。防災グッズのリストと一緒になっていて、衣食住の備えをコンプリートしたら達成! みたいな。楽しくないとやらないですものね。
アウトドア志向も強まっているので、みんながテントを立てて食事をする防災イベントとかもあったらいいですね。何度か立てていたらいざというときも安心だし、イベント中に詳しい人から教わったり助け合ったりもできるし」
自身の店やビルの改装や新しい店舗の誘致、運営がひと段落し、さらに大きな視野で街づくりに向かっている藪内さんは、最近次の世代にいかにつなげていけるかに目が向いています。
「僕らがやっていることを見て、若い人が街に戻ってきてくれたりしている。では、ここから次の世代に何を伝えられるかを考えています。中心的な人物がいて、その人がいないとだめになってしまう、という形ではなく、誰がいなくなっても、そこにいる人が自発的に考えて街が継承されるように、考え方をつなげていきたいと思っています。まだ明確な言葉にはできていないのですが……。
『会津磐梯山の歌』という福島民謡があって、飢饉のときに磐梯山の笹が実を付けてくれて、それで飢えをしのいだという逸話があるんです。ネガティブな状態をポジティブに転換して、乗り越える。僕らは震災、コロナと10年の間にふたつも大きな災厄を経験している。それをどう乗り切ったかを言葉にして伝えていけたらいいなと思うんです」
何をするときも「楽しいことしかしたくない」という藪内さん。実際には大変なことも楽しんで、格好いい場所やイベントをつくり出す藪内さんの姿を見て、県外に出ていた若い人たちが街に戻ってきているといいます。防災についても、キャンプや防災食と掛け合わせて楽しみながら備えられたら、もっとできることが見えてきそうです。
また日常と災害時どちらも暮らしやすいコミュニティのありかたについても、お話をヒントに考え続けていきたいものです。
この記事を書いた人
- 広告会社勤務後、フリーライター。生まれ育った東京から高知、さらに鹿児島へと移住。コラムやインタビュー記事を中心に執筆。インタビュアーとしても活動。